民主主義のスキル

民主主義は理念ではない。
民主主義はスキルだ。
スキルだからこそ身につけなければ実践ができない。

と改めて感じたのは会議に参加したから。
若い先生方の抑圧された状況を知るにつけて、それは社会の有様を反映していると感じたからだ。

「こういう組織の仕事をやっていくことが苦しい。勉強することが苦しい。」
こういう正直な声をつぶやかれた。
真正面から受け止めるしかない。

もう一つ、様々な組織で民主的なスキル(組織を運営していくためにやらなければいけない基本的な)が身についていないという意見も出された。
40代・50代でさえそういうスキルが身についていない。
20代・30代の人たちも同じだ。いや彼らはそういうスキルがあるのだということすら知らないのではないか。
だって、民主主義の学校である組合はない。学校はそういうスキルを教える場でなくなっている。

斎藤幸平さんのヘーゲル精神現象学」(100分で名著)には、この問題が真正面から取り上げられている。

「そもそも、人間が一人で生きていくことは不可能です。物理的に難しいだけでなく、人とのつながりを断てば、社会や他者に認められることもないし、自分の能力をそもそも開花させることもできないでしょう。」
「ここには、近代社会の自由がもたらす難題があります。つまり、人間は一人では生きていけず他者が必要な一方で、自由な諸個人は他者と完全に理解しあうことができず対立や衝突を不可避に生む、というジレンマです。」
ヘーゲルは発想を転換し、そうした矛盾や対立こそが「真理」だと考えたのです。」
「対立や矛盾を乗り越えて、合意しなければならないことはたくさんあります。そのためには、共有可能な「正しさ」がどうしても必要となります。それがヘーゲルのいう「真理」です。」
「では、真理の創出はいかに可能か。・・・共同作業によって「正しさ」をつくっていく過程は、時に傷つきながら学び成長する過程であり、それは「今の自分を否定して、今の自分でないものになる」ことだと表現します。」

「分断された社会」というのは、このめんどくさいことをすっとばかした結果かもしれない。