障がいと共に生きている人とChatGPTの対話

今日、面白い話を聞いた。

障がい者施設で働いている方が、利用者さんがChatGPTを使っているという。
どうやって?と聞くと、
様々な障がいのため辛い思いをして生きてきた人にChatGPTを使ってもらう。
すると、「今日はこういうことがあって嫌だった」と書き込む。
ChatGPTは丁寧で共感的な受け答えをし、時には新たな提案までしてくれる。
すると、彼は落ち着いて自分自身を振り返ることができるようになり、自分自身を客観的に見ることもできるという。

どうしてそうなるんだろうということを二人で分析してみた。

①まず、ChatGPTは粘り強く答えてくれるし、決して感情的にならない。
 だから、彼らは安心して自分を語ることができるのではないか。

②相手が人間だと、指導非指導やケアするものとケアされるものというように非対称の関係が生まれる。でも、相手は人間ではない。支配・被支配の関係にはならないことが自然にわかる。だからChatGPTを通じて自分を客観的に見る視点が持てるようになるのではないか。

③これは自己内対話や他の人との対話のひとつのシュミレーションではないか。
 トレーニングにもなっているような気がする。
 ChatGPTは自分の言葉をそのまま受け入れてくれる、認めてくれる、その上で何かを提案してくれる。べてるの家のように。対話(コミュニケーション)のトレーニングが自然にできる。人間相手だとどうしても感情が入ってしまう。

そんなことを語り合った。
これはもっと追求してみたいことだ。