「知識社会化」という言葉を初めて知った。
ドラッガーの造語らしい。引用すると、
知識は他の知識と結合したとき、爆発的な力を発揮する。
知識社会では、知識が組織によって活用されることで、社会的な意味を獲得する。専門知識を有機的に連携させる場、結合させる場が、組織である。組織とは知識の培養器である。
また組織とは、人が目標に向かってともに働く場と、それに伴うつながりの全体を指す。「組織」というより、「ネットワーク」と読んだほうがふさわしいこともある。
現代のプロフェッショナルは緩やかにネットワークを組み替えながら、常に新しいプロジェクトで成果をあげていく。フリーランスで活動する人同士の組織も、近年ではめずらしくない。
いろいろな課題(構想)があるのだけどそれは脳の中だけ、と思っていたけど、こういうように定式化できると「知識」もエネルギーに変わる。
この組織はアソシエーションであり、部活やグループやサロンそのものだ。
下の記事は、おふくろが、山川先生が出ていると言って差し出した「本願寺新報の本願寺医師の会の悩み相談」の記事。知識がたっぷり。
今日の伝道掲示板の法語。と言っても井上井月の雪の俳句。
今日も雪が降ったけど、このように雪も変化するということを伝えたかった。
知識社会にあって、組織と知識はともに立ち、ともに倒れる相補的関係にある。知識が中心となる社会は、必然的に組織社会である。脱大組織はあっても、脱組織はない。
知識は無形であり、精神的能力である。人間のみが持ちうる資産である。知識はエネルギーであり、その適用対象は変転してやまぬ人間社会である。
ここで言う「知識」は暗黙知ではなく客観的で伝達可能な知である。
そして、ドラッカーは知識をお金と相対するものと考えていたという。
企業の境界における組織的な知識創造(上) - surugadai.ac.jp
「暗黙知」から「形式知」へ、「形式知」から「暗黙知」へ
何百ページにも及ぶ「はまぐりの数学」は単なる知識ではない。
単なる知識なら時間が経てばゴミとなる。
ある現象にぶつかった時、どう考えたらいいのかという「考え方」なのだ。
もちろん考え方も知識の一つだけど、ため込む知識ではないという点で異なっている。
では、この知識を結合させたり発展させる組織(アソシエ―ション)は何だろうか?
それは私が日々いろいろな所で語り合う人々やグループである。
社会を変えようとするのではなく、
「自分たちがいきいきと暮らすことそのものが村おこしだ」と。