「高鷲町民センターの日」のはたらき

毎週水曜日の午前中3時間は「高鷲町民センターの日」に当てている。

実はとても楽しみにしている。
自分自身にも課題があって、今は長善寺文書の読み下し(解読)を検討している。
一週間で一枚だけどそれを持って行って見てもらうのだ。
そこには自分自身の発見があり、それを検討してもらいたいという願いがある。

今回は、昔収蔵してあったけどまだ整理されていないモノを見た。
その中に明治の初めごろの太政官の高札(切立村のもの)があった。いつものことだけど、写真に撮るのを忘れてしまう。
それを一緒に読んだのだ。(読めるようになったこともうれしいし、大勢だともっと読めることがうれしい)
それまで攘夷と言っていたけど、外国人に危害を加えてはいけないというもの。
これは収蔵しておくだけではもったいない。どう展示したらいいのだろうか

その後、「教願寺遺跡」のビデオを見た。
子どもたちに現地で遺跡の説明をしているもので、その解説者の説明の仕方がとても素敵なのだ。5千年前の高鷲の縄文時代中期の人々の生活は、毎日キャンプをしているようなものだとか、甕が丁寧に埋まっていたけど何が入っていたのかとか(出産にまつわるもの)、彼らの生活がとても豊かであることが示されている。もちろん祭祀もおしゃれもあって、精神的にも豊かだったということがわかってくる。当然周りの地域との交流もわかる。

さて、問題はこれらの遺物をどのように残していくのかということだけど、単に展示して終わりで良いのだろうか
その解説をする紙も出てきて、見たら親父が書いた絵だと分かった。
その当時、子どもたちにどう伝えるのかという試みの一つなのだ。

こういうビデオがあることも知らなかった。初めて見た。担当の強さんが知っていて、見せてくれたから8名だけが見ることができたのだ。
その後、下呂石の話や火起こしの話で盛り上った。下呂石や火起こしを持ってくればよかったと思った。【教材】(このページの真ん中より下に火起こしの解説がある)

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さて、ここからが「町民センターの日」のはたらきこと。
たまたま参加していた人たちは知ることができた。実はこの遺跡から出土したものの一部がセンターにも展示してあるけど、ちらっと見るだけで気にも留めない。
そういう展示物をどう生かすのかという問題を提示してくれたと思う。
高鷲にかかわることをいろいろ取り上げて紹介するというその先のことなのだ。

次回のテーマは「高鷲の郷土料理新聞」話だ。
これは前に書いたけど、彼女らに来てもらって話を聞くという。
郷土料理を深く追及しているグループがあるからこそ、この新聞が生まれたのだし、それをみんなに知ってもらいたいという活動が生まれたのだ。
でないと、地域に伝えられてきたもの(コモン=共有財産)が消えてしまう。

そこで、ふと思ったのだけど、こういう活動で一番大切なことは、まとめることも大切だけど、そういう活動をするグループがあること、そういうグループを創り出していくことにあるのではないか(アソシエーション)

高鷲の歴史をまとめている馬淵先生が「自衛隊の演習場問題」について調べ(ている。
その時の村会議員は山川さんしかいない。聞きに行かなくてはと言ってみえた。
実は私たちはいろいろなグループに分かれて、いろいろなことに取り組んでいる。
そういうグループの活動を生み出しているのが、この「町民センターの日」の働きなのだ。そして、そのグループの活動の交流の場でもあり、新しいグループの創出の場でもある。何よりも高鷲にはこんな素晴らしい共有財産(歴史・文化=共有財産=コモン)があるということを知らせてくれるからこそ何とかしたいというグループが生まれる。