思い出と記憶と追体験

母の願いは家に入ること。
当然の願いなのだが、いろいろあって悩ましいところだ。
でも、そうしなければならないしそうなるだろう。

先日、高校の同級生の友人が訪ねてきた。
何十年ぶりだけど変わっていなかった。
いろいろ話しているとすっかり忘れていることがたくさんあった。
記憶はあいまいなものだけど、こうやって再び体験されることがある。

そうやって記憶が体験され、人生の出会いもより豊かになる。
どんどん忘れるけど、どんどん追体験される。

この頃、処分するために昔の本を再読している。
再読していると、新アイディアだと思っていたことが書いてあったり、当時まったく理解していなかったんだとか、これどういう意味だとか感じる。と同時に、それが新しい出会いであることにも気がつく。

再読していて、思い出した言葉がクーンの「パラダイム
何だったっけ?と調べる・・・地動説や天動説がパラダイムの例だ。

このパラダイムは意味のネットワークとして表現される。
そして、理解するときにこのパラダイムは強力な働きをする。
このパラダイム圏論から見たらどう表現されるんだろうか。

そんなことを考えながら再読していると本が捨てられなくなる。