GIGAスクール構想

一昨日夜中の1時半に母から電話があり、びっくりした。
恐る恐る聞くと、電灯が赤々とついていて切りたいけどスイッチがないとのこと。

一か月ぐらい前に電灯を二つ代えた。この電灯はリモコンスイッチになっている。便利なのだけど、以前は引っ張って消すスイッチだったから、母が戸惑うのも当然である。しかもリモコンは別の場所に置いておいた。

なぜついているのか混乱していたようだけど、どうやら停電があったらしい。停電があるとリモコンのスイッチはリセットされ、ついた状態になる。

以前にも電話機で同じようなことがあった。
テクノロジーというのは便利さとトラブルが裏腹なのだ。
昔、パソコンを使った授業を研究会で行うのをためらったのを思い出す。


GIGAスクール構想というのを文科省はコロナ禍によって前倒して進めようとしている。そこでこの内容を調べようと思ったのだが、まずGIGAがどういう意味か気になって仕方がない。ネットで調べてもわからない・・・やっと書いてあるサイトに行き当たった。

Global and Innovation Gateway for All の略。

「全ての人にグローバルで革新的な入口を」という意味らしい。
簡単に言えばパソコンを子ども一人一台与えるというもの。

なぜ「前倒し」なのかというと、前に書いた「個別最適化」を期待してのものだが、最も大きな理由は「経済対策になるから」と、コロナ禍でのオンライン授業ができていないからというもの。

このことについて一般の人はどう考えるのかというと、
「この休校(コロナ禍)を節目として一人一人に合った教育にするのは良いことだ。
 これまで学校で行われてきた教育は「みんな同じ」。だから落ちこぼれが出てしまう。理解度に合った教育=個別化された教育を目指すべき」

という意見が出てくる。
この意見に反論を加えることは簡単だけど、単純だからこそ説得力もあり影響力もある。

新自由主義には大前提がある。
それは、「人々は同等・同質(平等)であり、努力の差によって能力の差がつく」
というもの。
このことによって、目標を設定しそれを達成したかどうかが意味を持ってくるのだ。
そして、面白くもない、新しい学びもない「個別最適化」路線へと突き進んでいく。

みんな同じではない! 一人ひとり違っている」このことが教育の大前提なのだ。
だから、共同して平等を目指すのであり、助け合ってより良い生活を作り出すスキルを身につけることが教育の目標となるのだ。