忙しすぎて日常が無い。
このコロナ禍の中でいつもやっている行事ができない。
とよく言う。では、日常とは何か。
そして、破壊的な現象(行為)と創造的な行為とはどう違うのか。
放送大学の講義を見ながらまとめてみた。
「ゆらぎ」→「よろめき」→「離脱」の三段階が面白い。
創造は脱体制・脱システムから生まれるが、破壊は脱ではなく体制やシステムを壊す。
体制やシステムには長年の経験から苦心して造り上げてきたものもある。
パートナーが携帯をスマホに変更するという大事件をどう考えたらいいのか?
そして、学校の現場で起こっているコロナ禍の非日常をどうとらえたらいいのか?