昨夜はサークルで学習会。
行くのに一時間かかるけどいろいろ話し合うのが楽しい。
昨夜はコロナ禍の影響で学校が大きく変わったことを実感した。
先生方の心が変わったのだ。
この困難に対して、上からの指示通りにやる。
それは下々のものがどうこうできるような事態ではないから。
でも、その結果起こるトラブルの責任を取らされるのは困る。
当然上に報告しその指示通り動くので責任は上にあると考える。
その結果、子どもたち自身が考え取り組むことは少しも考慮されない。
担任の主体的な取り組みも周りから嫌な顔をされる。
まさにマニュアルなのだ。
コロナ禍の当事者は私たちなのだから、今まで当然だと思っていたことを考え直し、自分たちの問題として考える絶好の機会なのに・・・。
実際そう考えて取り組んでいる学校もあると聞いた。
どうやら二つに分かれているようだ。
この表に書き込まれることが増えた。
「リスクに対して主体的であれ」というのが防疫・防災のレジリエンス(柔軟に対応するちから)である。
この主体的というのは自分の目で確かめ、アンテナを張り、やれることをやる。
でも、個人では限界があるから公助・共助が必要となる。
これが命を守る最も大切なことなのだ。
ところが「リスクコミュニケーションのパラドックス」というのがある。
情報が多いほど主体的ではなくなるというもの。
情報待ち、行政、専門家待ちとなってしまう矛盾。
これこそレジリエンスの反対である脆弱性なのだ。
このことを私たちは3.11で学んだのではないか。
参考のために
アメリカ心理学会は、以下の「レジリエンスを築く10の方法」を提唱している[2]。
- 親戚や友人らと良好な関係を維持する。
- 危機やストレスに満ちた出来事でも、それを耐え難い問題として見ないようにする。
- 変えられない状況を受容する。
- 現実的な目標を立て、それに向かって進む。
- 不利な状況であっても、決断し行動する。
- 損失を出した闘いの後には、自己発見の機会を探す。
- 自信を深める。
- 長期的な視点を保ち、より広範な状況でストレスの多い出来事を検討する。
- 希望的な見通しを維持し、良いことを期待し、希望を視覚化する。
- 心と体をケアし、定期的に運動し、己のニーズと気持ちに注意を払う。
これはマニュアルではない。