月に託す・・・メタファー

古文書と育成会の理事会に参加。帰りに月が輝いていた。
そうか今日は中秋の名月だ。

月影の至らぬ里はなけれども眺むる人の心にぞすむ
願わくば月よ誘へ我往かむその中秋の望月の夜に

古文書は明治政府の布告の仕方が面白い。かなり徹底している。

此処の処、同時に3つのことに取り組んでいて脳内がかなり混乱している。
ただでさえグチャグチャなのに混沌としている。
この頃、新聞を読んでも内容が理解できない、本を読んでもわからない。
だからわからないことだらけなのだけど、その中で気になって仕方がないことが出てくる。それが多いのだ。

昔、シャーロック・ホームズを読んでいて、驚いた場面がある。
ワトソンがホームズに地球が太陽の周りを回っていることを話すと、ホームズはびっくりし、でもそれは私が推理することには関係ないから捨てると宣言する場面だ。
なぜ心に残っているのかを説明するとめんどくさいので、ここでは記憶を捨てれる能力について書く。うらやましいと思ったけど、この頃自然にそれができている。

自分にとって大切なことはほんの少し。わからないものにあこがれても仕方がない…。
世の中はわからないことだらけなのだ。

でも、この3つのことは頭から離れない。特に因数分解はしっこくて離れない。
そこに何かあると感じるのだけどそれが何か表現できないのだ。
もどかしい。

そういうときに何かに意味をたくす。
つまりメタファーを探す。
月に託すのだ。

何を書いているのかわからなくなってきた。

智はあれはあれ、これはこれと分別して思い計らふによりて 思惟に名づく。
慧はこの思ひの定まりて、ともかくも動かぬによりて、不動に名づく。不動三昧なり。

 止観とは「止水よく月を写す」のではなく、御開山のようにやがて動かなくなるまで待つということだ。
渦を巻いている情報が脳の中でやがて鎮まってくる。

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