現実界 象徴界 想像界

車庫の雪下ろしをした。病院で二時間も待った。

100分で名著で「パンデミック」をやっていた。

最初に本を紹介したのが斎藤幸平氏
その本はジジェクの「パンデミック」。その中に子を亡くした父の夢の話が出てきて、
ラカンはトラウマから逃れるために夢から覚めたと分析した。
だから彼は〈現実界〉を避けるために、現実の世界へと目覚めたのだ』という言葉が出てきて、夢が「現実界」とは?と気になってしまった。

そこで調べてみる。精神分析ラカンが述べた説。

現実界は、現実における体験・トラウマ・不安などで構成される世界。
例えばある大事件という現実的なことを言語で語ろうと思っても語りつくせない。
でも、その言語でしか現実を語れない。メビウスの輪のようなもの。

私たちはより的確な言葉を探したり、より多くの言葉を重ねることによって現実に近いものを描き出そうと奮闘する。

象徴界は言語の世界。例えば数学。人間存在を根本的に規定する言語活動の場。
掟であり、父であり、言語である。

「無意識は一つの言語として構造化されている」
「人間の欲望は他者の欲望である」
「愛とは自分の持っていないものを与えること」

想像界は日常・平和・不幸といったイメージはできるけど正確な描写となると大変な労力を要するような対象の世界。

これを見ると私はどこにいるのだろうか?⇒読解のためのラカン入門【精神分析学】
ジジェクは、この父親が苦しみ(現実界)から逃れるために目が覚めたことを、パンデミックに例える。

「この2年間を無かったことにしてコロナ前に戻そうとする心」が私たちにはある。
「悪夢の2年間を忘れて2年前に戻ろう」と。
そういう心は、現実界(トラウマ)から逃れるために目を覚めさせたあの夢と同じではないか。
その心は、「眠り続けるために目を醒ます」ことをやってしまうのではないか。

コロナ禍はこれから来るパンデミックのリハーサル。
地球規模への危機がやってくる。
コロナ禍はすでにあった現実上の様々な問題を浮かび上がらせた。
ところがそのトラウマに耐え切れずに再び「平凡な現実」に覚醒する、
つまり「本当のことを知りたくない」という意識を保ったまま目覚めている。
だって、(平凡な)現実の方がトラウマ(現実界)に向き合わずに快適に過ごすことができるからだ。(私たちには正常性バイアスがかかる)
これは夢(現実界)から目覚めた父親と同じ。

例えばお金(小文字の他者)は資本主義が与えた夢なのに、現実はその夢を追い求めている。この現実は現実界とは違う想像界
(私たちは夢か現実かわからない世界に生きている。映画「マトリックス」のように。バーチャルと現実と言った方がいいかな。でもこのように三つの界に分けると、私のいる世界が見えてくる。)
この譬えで見えてくるのは、私たちが現実だと思っていることが想像界のことだったりするということだ。夢が真の現実を示したりするということだ。

このコロナ禍でエッセンシャルワーカーの大切さを判ったのに、また元に戻れば良いと願っている自分自身の姿を見つめよということだ。
ジジェク「真に覚醒」をせよと言っている。
「元のように・・・」ではだめなのだ。

一年前の斎藤氏の提案をもう一度見てみよう。
資本主義的生活とは違う生き方