ハビトゥスを自分自身の学びに当てはめてみる

雪が降ってきた。
除雪車のバッテリをつなげて、ガソリンを買ってきて入れてキーをひねる時、いつもドキドキする。幸いにして一発でかかった。

ゴミ出しをする自分を誇る自分が見える。
私自身のハビトゥスについて考えてみた。

それが一番ハビトゥスを理解する方法だから。
まず、「趣味」と「学び」は同じハビトゥスからきていることに気がついた。
ブルデューは階層における趣味の差異を多く取り扱っているけど、私はこれを学びに置き換えている。

例えば、「私はなぜ数学を趣味にできたのか(この年で…)

①時間的なゆとりがある
②たまたま興味があった(履歴、数学界)
③理解したいという態度と方法と表現手法がある(基礎学力、学歴、知識、スキル)
④内容よりも「なぜそう考えるのか」「どう考えたのか」に興味がある(態度)
⑤学びも趣味と同じハビトゥスの一つ(人生を豊かにする趣味)

ブルデューは学校と家庭で得られるハビトゥスは異なると述べている。
どう違うのか?

学校は禁欲的な規範をベースとするハビトゥス
家庭は自然で自由にふるまわさせるハビトゥス

この家庭の方がわからない。
例えば、④については、私がかなり苦しんで身につけたハビトゥスなのだけど、それを自然に身につけていることがイメージできないのだ。

そして、気がついたのが
⑥数学「界」のこと
これについてはほとんど自覚していない。
そもそも仲間が極めて少ない。
でも、サイトに載せているということは自分自身の「界」を求めているのだろう。

 「私は私の数学という対象をGeoGebraとHP(ネット)を用いて(武器として)私の世界を構築するというゲームに夢中になっている

ということか。うーん・・・