資本主義的生活とは違う生き方

資本主義の荒波の中でどう生きていったらいいのか?

例えば、イヌイットの人たちの文化がある。
彼らも資本主義の荒波に巻き込まれている。
犬ぞりスノーモービルに、銛をライフルに代えて狩猟をしている。

しかも、彼らが受け取る(狩猟する)アザラシはグローバル資本主義の中ですでに様々な化学物質によって汚染されている。
だからこそ、彼らは自らの生き方(文化)が「権利」であることを資本主義世界に対して主張できる。

彼らの生き方(文化)とは何か

  アザラシは贈り物    ⇨   受け取った肉を独り占めにしてはいけない
      (再びやってきてくれる)     ⇩
  アザラシは再生できる  ⇦      みんなで分かつ

みんなで分かつこと(贈与、ポトラッチ)は人間の誰かが命令しているのではない。
アザラシが人に命じているのである。
この生き方(循環)は明らかに資本主義とは異なっている。

同じようなコトを以前に聞いた話がある。
北米狩猟民カスカの人々の世界観

 これも同じだ。
私たちの生き方は文化なのだ。

 ところで、
私が資本主義に疑いを持ったのは同窓会で、技術者の同級生が言った言葉だ。

「技術はどこまでも進歩する。そしてやがて火星に行くだろう。技術者はとどまってはいけない」「何のためにそこまでやるの?」「技術というのは無限に発展進化するものだから、若い人にも限界を作るなと言っている」

最初は彼の技術に関する姿勢に共感していたけど、この話にはついていけなかった。
その時は、技術というものはそういうものか、でもおかしいな…と感じるだけだった。そして、「納得できない」というだけで反論はできなかった。

今、資本主義的生産様式(資本の自己拡大)とむずびつくとよくわかる。
これは、資本の自己拡大の運動なのだ。
GAFAの動きを見ているとよくわかる。
しかもそれはコモンを食い尽くしての。