「ダンゴムシに心はあるのか」を再読

ずいぶん前に買って読んだのだけど、理解できなかった本がこれ。ダンゴムシに心があると思えなかった。心って何かわからなかった。

でも、どうも気になっていて、NNを考えていた時、再度読もうと手に取った。

作者は森山徹氏。
彼がこのことを計算予期システム国際会議で発表した時に、ベルギーの哲学者が質問をした。「ダンゴムシの予想外の行動の発現に自立性を認めることは、この動物に意志や心を認めることではないか」と。

森山氏の仮説は、
心の働きは未知の状況に陥った時に生ずる予想外の行動の発現として現前する
というもの。

これがなかなか理解できなかったのだ。
心はこのように定義していいものかどうかが引っかかっていたのだ。
でも、例えば以前に書いたミルグラムの「アイヒマン実験」を考えると、その人の心の奥底の心の発現がイメージできる。また、ルンバがどこかに迷い込んで呼んでいるときなどにルンバの心を感じるのにも似ている。

森山氏が実験によってダンゴムシが予想外の行動を示した時、そこにダンゴムシの心を感じるというのは、再読してみてなるほどと感じた。

私がイメージする心は感情であり、その感情もどうしてそれが起こったのかわからないことが多い。この仮説によると、どうしてこの感情が表れたのだろうかという時に心を感じるということになる。そう言われればその通りだ。

でも、この仮説は意外過ぎてなじみがなく、また心そのモノには言及していない。だけど、いろいろ思考(試行)してみるとだんだんそうかもしれないと感じるようになる。

森山さんはジュラルミンの板にも、石にも心があると言っている。そうすると、これは、AIにも言えるのではないか。

この仮説を使って、ダンゴムシとAIや私自身の心の在処のつながりを考えてみたい。

そういえば今日は涅槃会。釈尊の亡くなった日。

ふと気がついてメモを取っている。
それは森山さんの実験の変化である。
その変化自体がダンゴムシの心の在処をさぐっていく過程となっている。