日めくりカレンダーのメモ

年末年始はいつものように多忙で走り回っている。
これを50年以上続けているが、身体が動いているのは有難い。
つれあいが寝込んでいたが、娘がいろいろ手伝ってくれたので何とかやってこれた。
今日は少しゆとりが出てきてゆったりしている。

新年の挨拶で回った時、ある女性の方の所で素敵なモノを見させて頂いた。
それは、大きな日めくりのカレンダーで、その上にいろいろメモがしてある。

メモは朝書く時と夜書く時があるという。素晴らしいですねと言うと、ごえんじが話していたからやってみようと思って続けている。新しい日めくりも娘に買ってきてもらったと言われた。ただ漢字を思い出せないで平仮名になると嘆かれた。

そういえば報恩講の折に「砂時計」と同時に「日めくりカレンダー」の話をした。
日めくりカレンダーをめくるたびに、それをゴミ箱にポイと捨てると、残り少なくなったと嘆くだけ。捨てないでそこにその日心に残ったことをメモをして取っておくと、残りが少なくなるのではなく経験の日めくりが増えていくのが楽しみになるという話をした。

まさか実際にやっておられる方が居るとは思わなかった。
まさに今ここを大事にする実践である。

されば、人死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらむや。        おろかなる人、此の樂を忘れて、いたづがはしく外の樂しびを求め、此の財を忘れて、危く他の財を貪るには、志滿つ事なし。生ける間生を樂しまずして、死に臨みて死をおそれば、此の理あるべからず。人皆生を樂しまざるは、死をおそれざる故なり。死をおそれざるにはあらず。死の近き事を忘るゝなり。もし又、生死の相にあづからずといはば、實の理を得たりといふべし。      徒然草

ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃・月支の聖典、東夏・日域の師釈に、遇ひがたくしていま遇ふことを得たり、聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。真宗の教行証を敬信して、ことに如来の恩徳の深きことを知んぬ。ここをもつて聞くところを慶び、獲るところを嘆ずるなりと。      教行信証総序