「じょうぶな頭」とは

正月はいつもの通り忙しかった。
ホッと一息ついた三日に教え子の同窓会があった。
懐かしい同僚とも会っていろいろな話が聞けた。

本当は話を聞かなければならないのに、自分が話す方が多かったことを反省している。
語ったことの中に「かしこい体とじょうぶな頭」があった。

この意味は「かしこい体」の声を聞くということだけど、
身体の(声の)方がかしこいし、正直だし、正しいということだ。
でも、「じょうぶな頭」の方は混乱する。
例えば、
じょうぶな頭=強い心 では決してない
      =耐える心 ではない
      =根性 では決してない
      =強い意志 では断じてない
では何か?
そういう「かしこいからだ」の声をそのまま受け入れることだと思う。
ありのままの自分を、自分の身体の声をそのまま聞くことだと思う。

「ねばならない」とか「根性がたりない」とか「心が弱い」とか・・・
そういうしみついた脳のことばを聞くのではなく、からだのことばを聞く。
自分のからだと対話できる頭」ということ。
弱さをそのまま受け入れること。

教え子たちの話を聞いていると、「そうだったのか」と長年の疑問が解けていく。