36年前の数学の授業について

同窓会で数学の授業の話が出た。
面白かったと言ってくれた教え子と、なぜ面白かったのか、どこが面白かったのか
話し合った。
36年前のことなのによく覚えていて感心してしまった。
彼は難しい問題を出したら、夜のうちに解いて次の日持ってきた。
ところが、彼は高校へ行ったら途端に数学が解らなくなったと言う。
なぜわからなくなったんだろうかと一緒に考えた。

私の仮説は「方向が異なっているからじゃないか」というもの。

私は学生時代の反動で、定義→定理→証明→応用という流れに逆らっていた。
具体的な問題から出発して、現象→問い→説明→定理という流れで授業をしていた。

これを図式化すると左の納得のモードの方。

納得のモード】      【説得のモード
「なぜなら」        「よって」
具体的から出発して原理へ  抽象から出発して応用へ
 現象→問い→課題化     定義→命題→証明
説明で原理を見つける    応用してわかる
アブダクション帰納     演繹

説得のモードではアブダクションは起こらない。
知情意が働かないから(知識だけ)だ。
面白そうだから取り組むのだ。

流れが逆だったから、そのことをちゃんと説明するべきだった、と謝った。
「高校へ行ったら説得のモードになるからねと」言わなかったのだ。
(そういう時はせめて帰納的に考えると良いと)

彼はこういう流れ(納得のモード)は一般的ではないのかと尋ねる。
残念ながら大抵は「説得のモード」で授業がなされている。
「個別最適化」だと言われてもっと強化されている。
だったら、「納得のモード」をもっと広めなければいけないのではないかと言われた。

というわけで、現在私ができる方法で、できるだけ広めようと思う。

「私の回り道」      ~「教育の情報化」と「数学の人間化」~
                              ・・・パワーポイント(2023.3)