「自分のことは自分でしましょう」という命題

「自分のことは自分でしましょう」という命題Aをもっと探ってみよう。

このことからすぐに導き出されるのは、B「自分のことを自分でやらないのはダメ」とA’「その人のことはその人がやる」ということであろう。
A’は主語を置き換えただけだけど、B'「自分のことを自分でやらない人はダメ」とすぐに変換される。

ここから子どもと問答をする。

「自分のことって何だろう?」「食べること、ウンチをすること、服を着ること、起きること、・・・」
「自分のことなのに自分ができないことってあるよね?」「朝起きることは自分のことだけど、お母さんに起こしてもらう」「食べ物を作ることだって自分のことだけどお母さんに作ってもらっている」「病気も自分のことだけど、お医者さんに直してもらう」
「自分のことなのに自分でできないことってたくさんあるね。ではどうしてAと言うんだろう?」「自分でやれるようになって欲しいからじゃない」「自分でやれるようになるとうれしいんだ」
「嬉しいのはお母さんだけ?」「自分もうれしい」
「そうすると、Aは『できなかったことができるようになることは嬉しい』と言い換えることができるね」

この対話の流れは類推を使っている。
レンマの論理において類推は重要な意味をもつ。
そこでは「よって」という原因よりも「なぜなら(だって)」という理由を用いる。
なぜなら「よって」は説得のモードであり、「なぜなら(だって)」は納得のモードであるから。

161、【指し示しの数学】第5章 ターレスの「証明の発見」 ・・・説明における「説得のモード」と「納得のモード」  PDFファイル(2015.1)