干し柿づくりに4時間も夢中になれたのはなぜだろう?

私自身が面白かったけど、子どもたちはなぜ取り組んだのかを振り返ってみる。

思いつくことを書くと
①柿の木から直接切り取るところから始まった(紐を付けれるように枝を切る)
②お寺の中でみんなで共同の作業をした
③苦手なコトを自覚し、自分のやれることを見つけた
干し柿ができるという明確な目標がある(生産物)
④みんなに役立っているという感覚が持てた(役割)
⑤それぞれ認められる場があったからがんばれた(面白かっただけかも)
⑥作業しながらいろいろな話ができたし聞けた

この分析はまとはずれかもしれないけど、
一度も「頑張れ」とか「しっかりやって」と言う人は居なかった。
それなのに子どもたちはなぜ4時間も夢中になれたのか。
ここに
「居場所とは何だろうか」と考えるヒントがいっぱい詰まっていると感じる。

もう一つ、最近考えていること
それは「コモン」とか「コミュニティ」って何だろうということ
車庫の横の柿の木がコモンになった
干し柿づくりは知恵でありスキルであり、コミュニティの中で伝えられてきたものだけど、これも無形のコモンではないか
そして、学びは後からついてくる
もしかしたら居場所とはコモンを持つコミュニティではないか

いずれにしても一番学べ、元気がもらえたのは私である。
私は消費される商品ではない!
やりがい・面白さ・感動は、与えられるものではない、教えることもできない、自分が見出すものである。