絶対世界の有様を語る神秘的な狂信主義

人工知能と宗教』を読んでいる。

人間は身体をもって生きることをつうじて、環境世界から自分にとって意味(価値)があるものを選びとり、自分の世界を構成しつづけているのです。
このように、環境世界はつねに流動的で無限に転変していくものです。

「自分の世界を構成しつづけている」ことは実感としてわかる。一人の人を母と見たりおばあちゃんと見たりするのは世界が一人一人にあるから。
だから、私たちは世界から情報を受け取ってその意味を解釈しながら、その環境世界を構成しつづけている。

この場合、この「環境世界」は私たちが構成しながらも私たちに情報を与え続けているということが問題になってくる。
その環境世界は個物にとって固有のものだが、それらをまとめた環境世界というのはどういうものだろうかという疑問が生じるからだ。
特に科学ではそういう絶対的な世界を追求している。
でも、量子力学などの知見や私たちの神経系(ニューラルネットワークの単純な働きでさえ見ることができない)などの限界からそういう絶対的な環境世界を私たちは直接認識することができない。
すると、人間と関わりなく、客観的に宇宙/世界が存在しているという常識的な認識をゆるがすことになり、科学技術のよって立つ基盤を揺るがす。
そして、絶対世界の有様を語る神秘的な狂信主義を否定できなくなってしまう

(これは書きながら理解をするという方法を取っている。どうやら私の関心はこの太字の所にあるようだ。)

西垣さんが共感しているのがマルクス・ガブリエルの考え方。
彼の多層的な世界のとらえ方は偶然性よりも共感しやすい。

要約『なぜ世界は存在しないのか』 :: デイリーポータルZ

世界が存在しないことが意味の場の無限の多様さを惹き起こす。だが、あらゆるものが存在するからと言って、あらゆるものが良いとも悪いとも言えない。人生の意味とは、生きる、そして尽きることのない意味に取り組むことにほかならない。

これは納得できるし、今まで感じてきたことだ。無尽蔵の意味の生成というところに引かれる。
さっきの「絶対世界の有様を語る神秘的な狂信主義」に対しては、それは絶対世界ではなくあなたの作り出した世界であって、良いとも悪いとも言えない。そして私には私の世界があり、あなたの世界の中にあるわけではないと応えるのだろうか。