「主伴互具」(君主と臣下の相互性)

清沢師はスピノザのエチカから強い影響を受けている。
また、スピノザ浄土真宗から影響を受けてエチカを書いた。
 
スピノザの実態が、清沢師の無限である。
そして、その実態=無限が様々な現象を生み出す構造を説明している。
それが、有機的構成と「主伴互具」(君主と臣下の相互性)の二つの法則である。
 
有機的構成というのは縁起のことで、
私たちが無限の部分であり、依存、連関していることを示している。
 
では、その中で私はどのように存在しているのかというと、
ちょうど身体の器官相互の関係のようなものである。
つまり、私が生命や性格を維持しようとするときには
私の身体の器官と同様に、他の人を自分を支える器官と見なさなくてはならない。
それを「主伴互具」(君主と臣下の相互性)という。
この見方がとても大事で、
清沢師はこの関連を認知することが宗教の目的であるとさえ言い切っている。
 
島田幸昭師はこのことを次のように説明している。
 
 「 私がいう世界は、そこにある客観的な事実です。
 たとえば私を中心とすれば、そこに父があり母があり、兄があり妹がある。
 父を中心とすれば、世界がガラッと変わる。
 私が母と呼ぶ人は妻となり、私は八男となり、兄も妹も皆息子や娘となる。
 あり方の関係が変わるだけではない。
 言葉使いから、生活態度から、すべてが変わる。
 十人おれば十の世界があり、千人おれば千の世界がある。
私を中心とする私の世界は、私が王で、他の人は皆私の國の住民である。
 父を中心とする世界は、父が王で、他はすべて父の國の住民である。
私の國が清らかであれば、王である私の存在は安らかであり、その行動も無碍である。
 もし私の國が濁っておれば、私の存在は常におびやかされていて、
 私の行動は絶えず妨げられ、その道はいばらである。
その人の世界が清らかであるか、濁っているかは、その人とその人を取りまく人々との関係によるのであるが、
 それは、その人が、周囲の人の胸にどう映っているかというところに現われている。」
    ( 仏教開眼四十八願
 
清沢師は、これはこの宇宙のすべての存在に対して言えることであって、
私はこの法則によって無限全体を包摂しているが、
同時に全ての人・存在が同様の権利を持っており、相互に関連していると言っている。