「デジタル革命」って何だ?

ふとTVドラマを見たら、そこに出てきたセリフに引き付けられた。
「ミステリと言う勿れ」月曜日9時
随所に出てくる主人公が語る言葉が面白い。

ネットとリアルのあいだ西垣通著を何度も読んでいる。
昨日も病院で30分ほど読んだ。
持続時間はこれくらいでちょうどよい。
一度目に読んだときはわからなかった。
三度目で少し見えてきた。

「読書百遍意自ずから通ず」である
「習うより慣れろ」であるからいつも要約を書いている
「百聞は一見にしかず」だからそれまでの経験を思い出している
言葉と身体技能を結び付けている。

FBが「子どもむけインスタのアプリ開発」で提訴されている。
FBは社名をメタに変えて、「メタバース」というバーチャルリアリティを用いた買い物やゲームなどを楽しむことができる仮想空間を造るという。

先の書は、私たちの脳は「デジタル革命」に到底適応することはできず、言語的自己に偏った世界では様々な精神的なトラブルが起きるのは当然であると書いてある。
私たちのもう一つのリアルである身体的自己のはたらきを見直さないと、まさにバーチャルな世界で浮遊していくだけの存在になると。
(「デジタル革命」によって子どもたちや私たちは刻々と生きる力を弱めている)

そうすると「身体的自己」とは何だろうか?
先ほどの「」の「ことわざ」はすべて「身体的自己」を発現するための言葉である。
その他「腹に落ちる」「腑に落ちる」「身体が覚える・わかる(身体技能)」など。

思い出してみると、子どもたちと夢中になって遊んだことはまさにこれ。
遊びって一番自然で簡単な「身体的自己」の表現なんだ。
身体を使い、仲間と夢中になって遊ぶこと
その中で確かに世界が立ち上がっていたと感じる。

ではeスポーツはどうか?
これもスポーツの延長だろう。
ただしスポーツは大人のルールの中で行っているので、子どもが自ら世界を創っていることではないと感じる。

西垣さんは「機械情報」に対して「生命情報」を対置している。
生命情報とは身体情報やエコロジカルな情報も含まれる。
そして、「身体性」と「コミュニティ」の回復を挙げている。

では具体的にはどうすることなのか?

今私に一番ドーパミンが出るのが「集合知」のこと。
「人々の身体的共感をもった知を如何に結集するか」
「ネットを介して衆智を集めることが可能か」
具体的に確かめなければならない。