昨日は午前中に離れの雪下ろしと車庫の雪下ろしで二時間ほど。
図書館で二冊本を借りて、司書の方といろいろ話す。
午後は高鷲古文書を読ままい会。
読ままい会の参加者は10名。新しく2名参加。鷲見大鑑の資料としての位置づけーどれだけ正しいのか―という話が出た。そこに書かれていることが正しいわけではない。特に書いた時よりもずっと以前のこととなると、「事実かどうか」よりも「なぜそう書いたのか」の方が問題提起として楽しい。テクストとして読むということだ。でも、つい「ホントかウソか」で見てしまう。
さて、借りた本『ネットとリアルのあいだ』西垣通著について
この中に人間の意識が生まれたのはほんの3千年前だということが書いてある。
それを提唱したのはジュリアン・ジェインズという心理学者で1970年代。
これが面白かった。以前に書いた「中動態について(意志)」と通じるものがある
【二分心】(神の声を聴いていたイーリアスの登場人物たち。
彼らは「怒る」「悩む」「思案する」ことをしていない。
そういう表現がない)
私はできるだけ仏の声を聴こうと試みているが難しい。
でも、3千年前の人たちはそれが当たり前だった。ここでは右脳の幻聴と言っているけど。
いずれにしても「意識」というものをまな板にのせて対象にしている。
そして、現代の精神病との関連も考えられる。
自我意識というのは厄介なもので、人類はまだこれに振り回されている。
西垣通 「ジュリアン・ジェインズの二分心」 (Julian Jaynes' Bicameral Mind)
これを聞くと、「読む」と「聞く」の違いが気になる。
百聞は一見にしかずなのだ。では本を読むとはどういうことなのだろうか?