町民センターの日も残り二日となってしまった。
今回は今まで取り組んできた鷲見氏に関することの中間報告をした。
1、鷲見大鑑の鷲狩り伝説には「美濃国あただみ庄内川西川東永代知行」と書いてある。あただみ庄は芥見の庄とすると、鷲見郷との関係は何だろう?
ここから問題解決の追及が始まった。
2、足利将軍感状写には芥見庄という言葉は一番最後に出てくる「芥見庄長山彦五郎」
のみ。長山彦五郎とは何者か?
3、芥見郷土誌と大和村史を調べてみた。
芥見と高鷲の方言がとてもよく似ていること。
芥見の近くの北野には鷲見直重の記録があること。(三輪神社横の用水)
中世の地頭は農地開墾者でもあったこと。
4.伝説に出てくる八幡神社は高鷲には無いのはなぜか?
5、長山彦五郎は大和村史には次のように書いてある。
芥見八幡神社の宮司宮本家に伝わる鷲見氏系図には鷲見氏保のことを長山彦五郎と書いてある。郡上に伝わる系図には郡上中務彦五郎と書いてある。
当時地名を名字にしていたことを考えると、郡上では郡上彦五郎と名乗り、芥見では長山彦五郎と名乗っていた可能性はある。
6、このことから岩滝郷の小島三郎が「らんぼう」をしたと書いてあることが納得できる。すぐに隣だから。
7、そうすると下文の本文には鷲見郷とは書いてあるけど、芥見の庄と書いてないのがなぜか気になる。
いずれにしても高鷲と芥見はつながりがあったことは間違いない。
宮本家にも伺わなくては。
そして、いつかこのことでシンポジュウムをしてみたい。
次回の最終回は「たかすの昔話」