狭い世界を突破して広い世界に

梅雨が明けたと思って、遮光カーテンやすだれを取り付けたら、雨が降り出した。

アサガオが小雨に濡れていた。

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一昨日のZoom学習会の内容が心をかけめぐっている。
徒然草に、心は鏡のようなもので心という実体があるのではないと書いてある。
そうだなぁと思う。

いろいろなテーマが去来するけど、現在の学校で自分の置かれている位置をどうやったらつかめるのかということが一番気になる。

新自由主義政策で教師や子どもたちの環境や心は狭くなってしまった。
でも、その中でより広い世界を求めて突破していこうとする心がある。
それはどうして可能なのかと。

新自由主義にも功罪がある。そしてどうしてこれだけ政策が揺れるのかと感じてしまう。少なくとも教育政策は振り子のように揺れてはいけないのに。
でも、揺れたきりで戻ってこないのは最もいけない。
揺れ戻すことは大事な人の心の働きかもしれない。

それを揺れている現場で感じることができるのは、最も弱い立場に置かれた人に目を向けた時だ。そして、その視点はやがて自分自身の立場に移る。