本典勉強会、今日で証巻が終わり、真仏土巻に少し入った。
新しい読みができるようになったところ
「無上菩提心は、仏に成りたいと願う心であり、それは即ちすべての人を救いたいと願う心である。
そして、それはすなわち浄土に生まれさせたいと願う心である。
この心は浄土でかならず得ることができる。」
私たちは、今は到底このような心持になることはできない。
でも、やがて有仏の国土でこのような無上菩提心を発することができることができるようになる。
それは大いなる楽しみである。
今まで、全ての人を救いたいと願う心は仏の(側の)心だと思っていた。
でも、そういう心を私たちも持つことができる(浄土で)と語っている。
「かの安楽浄土に生ぜんと願ずるものは、かならず無上菩提心を発する」は、
今そうなるのではなく、浄土で無上菩提心を発することができる。
こういう心を持つことができるというのは、何と素敵なことではないか。
浄土ではこのような楽しみが待っている。
このことは決して問題の先送りではない。
私には、それが楽しみだとは とても思えない。
何のために仏法を聞いているのか、何をどうしたいのか 分からなくなって迷うばかり。