友人のFBを見たらびっくり。
「
これまで、教育課程論の講義で、
「学習指導要領に『天動説が正しいと教えなさい』と書かれていたらそう教えますか?」
という問いから始めていた。
毎年、「教える」が増えてくる。
でファイトも沸いてくる。
実は、これは以前勤めていた大学で同僚がやっていたもののパクリ。
実は、これは以前勤めていた大学で同僚がやっていたもののパクリ。
そのころから「教える」が多くて、かの同僚は激怒。
自分的には、面白そうなので、ここからはじめてひっくり返してやろう、と。
で、何回か後に、
「だから、『天動説を教える』というのは、
で、何回か後に、
「だから、『天動説を教える』というのは、
国から子どもに『満州に行け』とか『特攻隊に志願しろ』と言えと命令されたら、言うということでしょ」
これで、勝負ありだと思っていたのだが・・・。
かつての同僚からメールが来た。
「『もし文科省が教え子に戦争で死んでこいと教えるように命じたら、あなたはどうしますか』
かつての同僚からメールが来た。
「『もし文科省が教え子に戦争で死んでこいと教えるように命じたら、あなたはどうしますか』
という問いかけに、
120人ほどのほぼ全員が『仕方がないけどそうする』と答えた」
こっちが負けていたということか。あ”~っ、え”~っ。
こっちが負けていたということか。あ”~っ、え”~っ。
作戦考えよう。
」
最初の問いかけは現実をえぐりだす教材だと思う。
だけど、こういう現実が新たに表れてくる。
そうするとそれも教材となる。
最近は両方を教えて、「皆さんはどう思いますか」という提示をすると答えた学生もいるという。
・・・これ新聞がやっている。
そもそも地動説を学ぶことはかなり大変。
先人たちの命をかけた結果なのだけど。
とすると、これらの前提となる真理とは何かということを問わなければならなくなる。
もっともそれは教育のベースとしてあるものだけど。
今の教育現場や政治の状況は、このような実態から現れているのだろう。