実際に動かしてみる。
朝日新聞の「折々のことば」鷲田精一氏が取り上げていた。
白い球面に〇を書く。
円周のいずれの側を内とし外とするかは、それだけでは決定不可能である。
円周のいずれの側に自分を置くかによって内/外は決まる。
排外主義は自分のいるこの「内」からのみ発する視線であって、
こちらの「内」と向こうの「内」とが共存できるのは、
互いの「内」をよく想像できる時だけだ。
このアプレットは球と同じ空間のもの。
「私たちは自他の区別をいつもしている存在である」
ということをどうやって気づけるのだろうか。