内部観測

いろいろなことがあり、ゴキブリの様にじたばたしている。
これは何だろう。

量子の領域になると外部から観測するとそれは既に異なったものとなる。
量子でなくても観測されること自体がそのモノに影響を与え、違ったものになるということは今まで何度も経験している。
だから「知る」という行為は相手にも影響を与え、その「モノ自体を知ること」はできない。「木を見て森を見ない」こと自体外部からみている点では変わらない。
そこで、

ものを眺める時、それが我々の仲間であれ、他の動物、植物、単細胞生物、更に分子、原子のいずれであれ、全体を外から眺めることが適わぬとするならば、内から眺めるのみである

では「内からの観測」とは

時々刻々、内からの観測をしながら行動をし続けているのが生きているということであり、現在進行中の運動は内部観測があってはじめて可能となるし、これが経験そのものである。

そして運動が完了したときはじめて外からも観測することが可能となる。
当然と言えば当然だけどこれは大事なことだと思う。
内からの内部観測は必要であるし、運動し続けているいるかぎり内部観測でしかありえないとも感じる。