岐阜別院大遠忌法要

岐阜別院大遠忌法要が厳修されました。
郡上組から80名以上の方が参加。

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とても疲れましたが、無事終了。
これで一つの仕事を終えることができました。

門主を初めて拝見しました。
何だかうれしかったです。

宮崎哲也氏の講演は「いのちの(尊厳)について」(ちょっと違うかも)
いのちの尊厳というけれど、そもそもいのちは実体がないモノでとらえようがない。
だから、いのちを言葉で表すことはできない。(当然です)

そのいのちとの関連で、教育においていのちをどう取り上げるのか
という話になりましたが、あまりピンときませんでした。

「私たちには人を殺す自由があると」と言われました。(もちろん否定的に)
でも、それと「宿善・宿業の譬え」(歎異抄13章)とつながりませんでした。
たぶん、自由の持つイメージが異なっているからでしょう。

「私たちは(条件さえととのえば)人を殺すような存在である」という自覚と
「人を殺す自由」の自覚とはかなり距離があるような気がします。

「私たちには核兵器をつくる自由」ということばに置き換えるとどうでしょう。
ロスアラモスで科学者が行なったことと、現代のどこかの国が言うことの違い。
いやそもそも違いなどないような・・・

こうやって書くと、全てが私たちの愚かさを物語っているのかもしれません。