末木文美士氏の「死者論」に興味を持った。
最後の連研で、五念門を説明するときに、「魂」という言葉を使って説明した。
魂としか言いようのないモノが・・・と。
という批判をいただいた。
確かに近代的な合理主義は「永遠不変な魂」を否定してきた。
私もずっとそう考えてきたが、「近代化」の追求の結果、魂を否定することはできないと思うようになってきた。
もちろん、その魂は実体としての魂ではない。
そして、第五門(園林遊戯地門)は魂の領域と考えた方がすっきりする。
しかも、それは現に働いていると。
でも、すっきりと表現できなかった。
今日、末木氏の「死者論」という言葉を知った。
末木氏の次の言葉は、すっきりと入ってくる。
『親鸞の思想の根底には還相廻向ということがありますが、
これは、死者が阿弥陀仏と一体になってこの世界に戻り、人々を救うという考え方です。
このように、親鸞の根底には死者論があります。
死者の力を受けて、はじめて私たちのこの世界での活動が可能となります。
それが他力ということです。
それによって社会的な活動も理論づけが可能となります』
「還相廻向」を死者の魂のはたらきととらえると、とてもわかりやすい。
同じようなことを考えている人がいたということは、心強い。
私たちは死者のちからをうけている。
縁起の思想とはそういうちからを言っているのだと思う。
生きているものだけではないのだ。