ベイトソンの合理的な神秘主義

以前、「合理的な神秘主義」  「合理的な神秘主義」に導かれて  という思考の方法のことを書いた。
 
ベイトソンが、「民族の観察からすすめた私の思考実験」と題して、合理的な神秘主義を説明している。
それは、二つの視点から説明されている。
一つはモチベーション。もう一つはその方法。
 
1、自然界のあらゆる分野の現象に、同じ種類のプロセスを探っていくことができるのではないか。
 結晶の構造と社会の構造とに同じ法則が支配しているかもしれない。
 ミミズの体節の形成プロセスは溶岩から玄武岩の柱が形成されていくプロセスと比較できるかもしれない。
 ある分野での分析に役立つ知的操作が、他の分野でそのまま役立つことがある。
 自然の枠組み(形相)は分野ごとに違っていても、知の枠組みは全ての分野で同じである。
 つまり、今自分は自然のパターンと規則性という大問題(神秘)と向かい合っている。
 
これは神秘主義的なモチベーション。
 
2、勘を十分働かせておいて、そこにかかった獲物に今度はきちっと形式だった思考をあてる。
 最初は思考のゆるやかさを保証しておいて、そこから生まれてきたものを、
 ただちに具象のレベルに引き戻して厳密にチェックする。
 大事なのは、喩える相手を探すときには乱暴でもいいからできるだけ自由にやること。
 そして、相手が決まってアナロジーを展開する段になったら、信用先の分野で打ち立てられている論法
 に厳密にしたがっていくこと。
 
こちらが方法論的な手法で、前半の自由な思考が神秘主義的な面を持ち、後半は合理的に推論を進める。
そして、その両方を合わせて「合理的な神秘主義」という。
 
なぜこれが正しい道なのかというと、逆を考えてみるとわかる。
先に合理的に考えるというのは、がんじがらめな、決まりきった思考に縛られてしまう。
だから先に行って矛盾が出てくると、そこは神秘主義で乗り越えようとする。
そもそも、法則に当てはめるだけの思考は操作主義的なのだ。
 
私の経験では、周りには「神秘的な合理主義」があまりにも多かった。
そして、それを聞いていると、決まりきった結論とつまらない論理だった。
 
合理的な神秘主義では、アナロジー(相似)とホモロジー(相同)とホモノミー(同規)が使われている。