六字の名号

昨日は喫茶店法話「プチ法話
 
11名の参加
多田專浄師と美濃島ぢうさんの話をお伝えした。
「真心徹倒録」著松田青針師の中のお二人の語録を紹介。
ぢうさんは、あんたは念仏がいつもようでるなと言われて、癖じゃと答えている。
 
少しわかってきたことがある。
与之助さんの念仏の系譜は、七里恒順師ー村田静照師ー松田青針師と続く。
 
与之助さんが、博多万行寺へ七里師を尋ねていったとき、
七里師は、「あなたはお東ですか」と語り始められている。
どうやら、全員に一斉に話されるのではなく、一人一人の出身地や宗派を聞いてから話を始められるようだ。
 
一人一人に話されることを他の人も我がこととして聞いていたのだろう。
それは村田静照師も同じであった。
 
お二人の特徴は、念仏を称えること。
信心正因、報恩念仏だから、念仏はつぶやくように行われるのがふつうである。
でも、お二人はしっかりと称名をされた。
時には何十分も念仏を行い、その後に少しだけ法話をされたという。
 
先ほどの話の続きも、
「・・・口には信心じゃ安心じゃというてあーこーいうて下されたのが念仏懈怠の土台となったのです。そこで蓮如さまがお出ましになられて、墨の衣に墨の袈裟で一向に専修専念にお六字を勧めておくれた。・・・六字のいわれを聞けよ聞けよと仰っておくれた。そのいわれは、今われわれが、炎の中へぞろぞろと這い込むを救うてくださるのが六字のいわれなんです。・・・」
と赤子の喩を引きながら語られている。
 
与之助さんも「信者になるより念仏者になるがよい。」と言われる。
「本当は有難い有難い、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と思って称えさせてもらわなならぬがあたりまえです。
そうじゃけども三毒の煩悩が激しいから、有難いと思う心はできぬで、それだけはまけていただいて、唯、
南無阿弥陀仏と称えさせていただけば、御報謝に備わっておくれるのです。」