北海道開拓の講演

五月人形を飾った。
雪洞が破れていたのでそれを貼って直すのが一番時間がかかった。
東京よりもこちらの方が暖かい。

町民センターで往明寺さまから北海道開拓の講演を聞く。
一昨年聞いていたので、内容はよくわかった。

「鷲見氏・鷲見郷一覧」の敬願寺由緒を書いた古屋太郎右衛門氏が、明治24年に北海道に行き開拓に従事したということが判明。
北海道にいる上村性の方たちのことがわかるのではないかと注目していたけど、上村性は登場しなかった。もっと後かもしれない。

第一陣の開拓はとても困難をともなうモノだった。
凶作などで離農した人たちも多かった。
5年間で4町歩開墾すれば所有権が得られることを目標に頑張った。
それができたのはなぜかと往明寺さまは語る。

一つは、高鷲から行った人たちの助け合い。
そしてもう一つが、アイヌの人たちの援助。

助け合い精神は以前に書いた。
もう一つの援助の方は、既にその土地を捜すところから助言を受けている。
先遣隊の方たちがアイヌの方の家に泊まったりして案内してもらっていたという。
そして何よりも、名寄川(なよろがわ)を上ってくるサケのとり方や保存の仕方を彼らから教わり、そのおかげで冬を越すことができたことを強調しておられた。

「北海道開拓」と「大鷲白山神社の宝物館修理」

下川町 -道北・”ワクワク”が生まれるまち- (town.shimokawa.hokkaido.jp)

しもかわ観光協会 - 北海道の道北、上川郡下川町の観光協会 ...