「魂の糧としてのコトバ」

忙しくて日記をつける暇もないくらい。

放送大学で「日本語リテラシー」をやっていて、かって「段落切りの法則」というのがあったけど、最近のSNSなどでは段落ではなく行あけが多くなったと言っていた。

私は試行錯誤の結果、
①句点で行を変える ②段落で一字下げではなく一行開ける ③したがって一字下げは引用のみ 
という表記の仕方をしている。

このブログでは一字ではなく、〈br〉を使って①を、〈p〉を使って②にしている。
私が見やすいということを考えて書いているけど、心のどこかで自分なりの法則を作っているようだ(感覚で)。

表現と言えば、100分で名著で若松さんが『「言葉」ではなく「コトバ」で新約聖書を読む』ということを語っていた。
例えば、ヨハネ福音書の「パンと魚の奇跡」でパンと魚が民衆にわたり満腹になったのは「コトバによって心が満たされた」と言い換えられるのではないかと。
「言葉」は意味を伝えるけれど、「魂の糧としてのコトバ」はその人の経験によってしか伝わらない。

福音書はそれぞれの弟子が受け取った経験。だからそれぞれ異なっている。だから「言葉」ではなく「コトバ」によって読まなければならない。
そして、イエスはパンになった。
私は天から降ってきた、生けるパンである。このパンを食べる人は永遠に生きる

「コトバ」が伝わった時、大いなる奇跡がおきると。
ちなみに12人の弟子たちにはイエスの死によってはじめて「コトバ」が伝わった。
これは仏教においても同じことだと思う。