話者を替える試み「未来と将来」

木の選定をすると困るのが葉っぱの処理。
葉が出てこない今のうちなら大丈夫だと、あちこちの選定をしている。

さらに朝のうちなら「かってこ」で梯子がいらない。
ところが仕事をしていると鼻がむずがゆくなってきて鼻水が止まらない。
だいぶん焚き付けができたけど、これは今年燃やすわけにはいかない。

郡上組の「組(そ)だより」に法話の原稿をたのまれた。
そのまま書くのはどうかと思って、話者を聞く人に設定してみた。

未来と将来  (三つの問い)

岩波ジュニア新書「物語もっと深読み教室」の影響である。
法話(お話)は必ず終わる。
でも、世界はいつまでも続く。

『書くということは現実を踏まえているけど、現実とは別の場所で、現実の時間や空間とは別のものを創造することによって、かえって真実を語ることができる。
そのためには語り手は現実とは違う場所に立たなければならない。』

現実とは違う場所に立つこと
例えば、自分とは別の語り手のちからを借りて、現実の再構成をする。
それは現実への批評を必ず含む。
新しい試みとしてまず話者を替えてみよう。
そこから何が見えてくるだろうか。

前述の本の中に面白い分析があった。
メルヘンは一次元(現実と非現実が同じ世界)
ファンタジーは二次元(現実と非現実が分かれる世界)
仏法はどうなっているのだろうか?