4つの見学と参加と学び

森の幼稚園の見学
プチ法話
西濃サークルオンライン会
DialogueTeeのライブ座談会

と、夜12時までみっちりあったので、ブログ(日記)を書く暇がなかった。

森の幼稚園は双眼鏡で見学した。直接会うとついてくると言うかもしれないので。転んだりどこかへ行ったりする姿をやきもきしながら、弁当を食べるところまで見学。自然の中で、子ども同士でいろいろな遊びをしていること、子育てという「ケア労働」を垣間見ることができた。

法話会では、「労働とは何か」仕事による商品化ではない労働(雪下ろし、掃除、子育て、阿弥陀様のはたらき)がいっぱいあるという話と、三十五願「女人往生の願」の話を取り上げた。女性が四人いたので仏教における女性差別の話はなかなかショッキングだったようだ。話の後に、コロナのロードマップを紹介した。これも具体的にこの状況の中でコミュニティを支えにしながらどう生きていったらいいのかということが示せたと思う。

西濃サークルに中濃サークルのものが簡単に参加することができるのは、オンラインのおかげ。今年になって初めて会う人からいろいろなことが聞けるのは楽しかった。特に学校や子どもたちの活動が聞けるのが一番楽しい。これから教員になる人が参加されていて、教育の仕事とは何だろう(「学級経営」は何をするの)ということを中心に話し合った。これはアソシエートをどう教えるのかということなのだけど、どうしても教えるということは何かという話になる。野球を例にとりながら話せばよかったと思った。
別の話だけど、マルクスの書いたものはなぜ難しいのかという問いについて、当時の政治状況の中でそのまま書くとすぐに弾圧されるから婉曲に描く必要があったこともその一つという話を聞いた。ストンと落ちた。

Choose Life Projectの中の企画 「Vol.6 Dialogue "クソどうでも良い仕事" は誰のため? 〜ブルシットジョブとエッセンシャルワーク〜」やDialogueTee【ゴミと資本主義】については全く知らなかったけど、友人から教えられて今ライブをやっているというのですぐに見に行く。10時少し前から11時半までつい聞き入ってしまった。知っている人は斎藤幸平さん、岡野八代さんぐらいだけど、人類学者デヴィット・グレーバーの紹介や岡野さんの「ケアの理論」が今まで考えてきたことと見事に結びついて、虐げられた人々が声を上げるにはまずケアされなければならない必然性を体験できた。本来豊かなコモンである自然や家族が市場から搾取されているからこそ、ケア労働=(人間の)再生産労働が市場化されているということが、エッセンシャル・ワーカーの苦しみであると感じた。昨夜のライブなのにすでにビデオ化されているので、ぜひ見てほしい。

今回、私自身の世界が、資本論からケアへと広がって行ったのは理由があったんだ!!
でも、サークルで若い先生に本を薦めたら、「本を読むゆとり(時間だけではない)がない」という言葉が一番衝撃的だった。