独立国家のつくりかた(その2)

 
坂口恭平氏の文章をいくつか紹介しよう。
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歩き方を変える。視点を変える。思考を変える。それだけで世界は一変するのである。自分に無数の「生」の可能性があることを知る。
 
何かを「変える」ことが革命なのではない。むしろ、革命がすでに起きていることを、思考の転換によって見つけ出すことができる。それは「変える」というよりも「拡げる」方法論である。生き方は無数にあるということに気付く技術。それだけで、「生」そのものの在り方を変えることができるのだ。
 
「一つ屋根の下の都市」
家だけが居住空間なのではなく、彼が毎日を過ごす都市空間のすべてが、彼の頭の中だけでは大きな家なのだと。同じモノを見ていても、視点の角度を変えるだけでまったく別の意味を持つようになる。彼の家、生活の仕方、都市の捉え方には無数のレイヤー(層)が存在しているのだ。
 
「思考が空間を生み出す」
インフラなどの安定しているように見える社会システムは、みんなが暮らしやすいように、「ゼロ思考」でも対応できるようなレイヤーである。匿名化したレイヤーと言ってもいい。そこには「思考」がないから「疑問」もない。
社会システムのレイヤー=僕たちが勝手にそこに位置していると勘違いしている匿名化したレイヤーというのは、実は実体がないものだ。それは、路上生活者たちのレイヤーと何ら変わらない。そういう視点を持っているというだけなのである。幻想ともいえる。
 
「法律が多層なレイヤーをすり合わせる」
法律は明文化されていて、誰もが触れることができる。土地も建築物もそうだ。これらは、社会システムのレイヤーとはとは実は違う場所にある。しかも、これらの具体的なモノはレイヤー化されることがない。だって、浅草という街は一つしかこの世にないのだから。しかし、そこに人間の意識を投入すると、僕の浅草であり、鈴木さんの浅草であり、佐々木さんの浅草が生まれてくる。
 
社会システムや法律や土地所有や建築や都市計画を変えようとするな、と。
何かを変えようとする行動は、もうすでに自分が匿名化したレイヤーに取り込まれていることを意味する。
そうではなく、既存のモノに含まれている多層なレイヤーを認識し、拡げるのだ。
 
もうすでに僕たちは絶望的な社会、政府のもとで生きていたのだ。
政治が悪い、社会環境が悪いと僕たちは文句を言っているが、その一方で別にまだ生きるか死ぬかの問題でもないと思っているので、積極的には何も変えようとしない。しかし、路上生活者にとってお金がなく、家がない状態というのは命に直結する問題である。そんな時、政治や行政に文句を言って何とかなるのか。どこかの機関が何かをやってくれるのだろうか。
 
匿名化したシステムの内側にいるかぎり、考える必要がないのだ。「考える」とは「どう生きのびるか」の対策を練るということである。「生きるとはどういうことか」を内省し、外部の環境を把握し、考察することである。匿名化したシステムではこの「考える」という行為が削除される。考えなくても生きていけると思わせおいて、実は考えを削除されている。
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匿名化システムやレイヤーという言葉の意味がつかめただろうか。
匿名化したシステムのなかで考えることを削除された私たちが、考えることは難しい。
しかし、考えることを無くして、生きのびることはできない。
ずっと考えている。