ついに「萬留帳」終了

古文書読ままい会があった。
今回が萬留帳の最終回。
文政9年から明治9年まで、粟飯原氏2代の記録を読み通した。
幕末から明治にかけてのちょうど半世紀に及ぶ記録である。

最後の部分には地租改正による混乱によって起こった事件を書いている。

その少し前には明治5年の改暦のことが書いてある。
相当混乱したらしく太陽暦太陰暦を合体させた字を書いている。

これを見ると、明治7年大晦日は明治7年11月15日より十日目と書いてある。
どうやら、明治5年にすっぱりと変えたのではなく、この地方では明治7年までは旧暦(天保暦)を使っていたと思われる。

www.ndl.go.jpてに

明治7年2月に、郡上を12区に分けて区長を任命している。
さらに庄屋は戸長とした。

「人名も勝手に改名相成り候得共、今後改名不相成。寺なども寺号は相はいし、苗字名に相成候也。諸人不残苗字付(く)也。」
と書いてある。
それまでは長善寺文隆と書いていたということだ。