レンマの論理とロゴスの論理の対比はインド思想とギリシャ思想の対比である。
仏像がガンダーラから起こったように、美術においてギリシャ思想と仏教は相互に影響を与えてきた。
そして、思想的にも交流があり、この交流(対話)によってレンマの論理がより鮮明に浮かび上がる。
その対話とは「ミリンダ王の問い」という仏典である。
このビデオの後半にある縁起や念仏の譬えは、ロゴス的論理とレンマ的論理の差異をとてもわかりやすく説明している。
車とは何か?
部品が車ではないし、部品を集めたものが車ではない。
しかし、その外に車はない。
それらの部品から縁起して車という名(はたらき)が起こる。
車に私の名を代入すると、真実の自己を考えざるを得なくなる。
「無我」とは自己の否定ではなく、自己のうちに蠢く「我執」の否定なのだ。
そして、「真の自己(本来の自己)」を見出すことが仏道なのだ。
もう一つ大事なことがある。
ミリンダ王は命題の証明に譬えを要求している。
そして、ナーガセーナもいくつかの譬えで答えている。
「~です」「なぜですか」「例えば~です」「もっと他にも」「~の場合は」
なぜそう言えるのかの理由は具体的な例なのだ。
「依って」や「因って」ではなく「由って」なのだ。
これはレンマの論理の重要な特徴。