即非の論理

西田哲学の核は「絶対矛盾的自己同一」という論理。
鈴木大拙師の大乗仏教の「即非の論理」を深めたもの。

即非の論理とは、
「Aは¬Aである。故にAはAである。」という論理。
例えば、生は生ではない。故に生は生である。(善と悪や、有と無も同じ)

これに対して、形式論理は
「AはAである。Aは非Aではない。AはAでも非Aでもないものではあり得ない」
この3つは同じことで、AはAであることを強調している。

一方「即非の論理」を式で書くと、
X=¬A ∧ X=A と表せる。
形式論理から見ると、矛盾しているとしか思えないけど、
最初にAであることを否定しているのは、Aにも様々な階層があることを示している。
例えば、イスと犬は違うモノだけど、クジラではないことでは同じである。

この論理がなり立つのは、 (例えばAに生、¬Aに死を代入してみよう)
Aと¬Aが固定的な実態を持っていないという縁起の法則が大前提。
そして、ブッダの公式により、Aが生じるときには¬Aは滅し、¬Aが生じるときAが滅する。(つまり、Aと¬Aは相互否定
でも、縁起の法則から、Aが生じるとき、¬AはAの中に入り、全体がAになる。
¬Aが生じるとき、Aは¬Aの中に入り隠れて、全体が¬Aになる。

このことは、Aは¬Aによって他に置き換えることのできない唯一の存在であるという絶対的独立性を主張する。独自性は他者との関係によって成り立つので¬A無くしてはAは独自性を主張できない。(つまり、Aと¬Aは相互肯定的関係=相互依存
この相互否定的であり相互肯定的であることを絶対矛盾という。

実はこの論理は、前に「善悪」で考察したように、レンマの論理で考えた方がよくわかる。「起承転結とレンマと善悪
例えば、生と死は互いに依存しあって互いに否定している。

この即非の論理を何とかイメージで表現できないかと考えてみた。
これは球面上の円。小さな円をXとする。大きな円をAとする。
赤い点を動かすと、いつの間にやらAの中にXが入っている。