形は無から生まれる(アナロギアの論理)

以前作ったタブレットかけ。

f:id:bunryuK:20191024165740j:plain

とても役立っている。このしくみはというと、

f:id:bunryuK:20191024165852j:plain

既製品ではない。二つのモノを組み合わせたもの。

f:id:bunryuK:20191024165947j:plain

これはタイヤにチェーンを取り付ける時の道具。もうチェーンを取り付けることが無くなったので、捨てようと思って、いろいろ動かしていたら、上の様になり、これはちょうどタブレットを置くのに良いということで最初の写真の道具になった。

このことがとても不思議で気になっていた。色即是空に対しての空即是色の一番わかりやすい例だと思っていた。だって、まさに空の世界から形となって現れたものだから。
でも、どうしてこういう形になったのか、なぜ現れたのか、うまく説明できなかった。

このことを説明してくれるのがレンマの論理の中の「アナロギアの論理」

アナロギアとはアナロジー(類推)のこと。このタブレット立てのように現象として表現されたのは類推による。チェーンつけの道具として否定されたけど、それは他の異なったモノとなった。それはモノよりも意味(コト)が変化したことによる。このことは「一即多」であり、それは表現だということだ。つまり、これは自らのうちに多であるうちのある一つの表現をしたということを示している。そして、それは以前とは異なった存在となったことを示す。つまり、「意味」は使う者と使われる道具とを媒介する新しい世界を形成する。

これがなぜ生まれたのかというと、無から生まれたというしかない。なぜならこれは根拠があって生まれたのではないからだ。何かに依っているのでもない。それ自身に由って(自由)立ち現れたのだ。

このように形は形を通じて根源的な何かを表現する働きを意味している。どうだろうかこのコトが表現できたのだろうか。レンマの論理を使うことができただろうか。