報恩講厳修

たぶん一年で最も緊張し、最も苦しいのが報恩講

今年は前日に一睡もできず、二日目にはガスが切れるというハプニング。
すべて前もってやっておかなかった住職の責任。

一睡もできなかったわけは、
対話劇のシナリオを作っていて、コーヒーを飲み過ぎたから。

対話劇とは、親鸞さんと唯円さんの対話のこと。
歎異抄は言葉がむずかしいので、それをわかる様に直すこと、
さらに対話風に編集し直すこと、
対話を大事にすると言っているからには、対話そのものが意味をなさなければならない。二人で演技しながら、途中に反応を見たり、聞いたりしながら演じた。

でも、もっと編集し直さなければならないことがある。
それは逆転する思考をどう伝えるのか。
本来それは、個人個人の体験の中でなされているはずなのだ。
唯円さんの心の中を表現することは難しい。

いろいろシナリオで悩んでいて、寝ようと思って布団に入ったら、
今度は「レンマの論理」が湧き上がってきた。
何だ、それは対比されたものをどうとらえるかの問題ではないか。
そう思い当たったら、アドレナリンが沸き起こり、興奮して眠れなくなったのだ。

これについてはまた書くつもり。

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お手伝いの方たちの食事。たかたかまんまとジンダ。じんだ
ありがとうございました。ご体解様でした。