知るって何だろう?

熱中していてそれが完成したら急にやる気が起こらなくなってボーっとしている。

体調もあまりよくなくて、寝てばかりなので、かえって良くないかもしれない。
昔作ったジオジェブラのシートで気になるところを編集しなおした。

今回X線の放射モデルに取り組んだことで、医療の現場でギリギリのところで治療を進めていることがよくわかった。
それにしても、一つのことを知ることは大変なことだとつくづく思う。
わからないことが次から次へと出てくるのだ。

この頃一生(一形)についてよく考えるようになった。
死を目前にして自身の一形を振り返り、その意味を問い直す。
と同時に、後に残されるものたちの心配をする。
その時、私たちは生と死を分断されたものと考えてしまう。
しかし、別れというのは死によってだけではない。
会えなかったり、忘れていることもある。
そして、この世界は生きているものだけの世界だと思ってしまう。
でも、実際は死者と共に生きている。
仏教は人間に与えられた死という限界を乗り越えようとする教えだ。
釈尊は「死ぬのではない。生まれるのだ」と言われた。
残されたものも死者とともに生きていると同じように、死者も浄土で生きている。
そうでなかったら人間の悲しみは救われない。
それが阿弥陀仏の悲願。