観世音菩薩普門品

臨済宗妙心寺派の葬儀だった。
布袍を着ていったら、導師の方から一緒にやっていただけないかとさそわれた。
有難いことだと思ったが、お経がわからないので丁寧にお断りした。
でも、聞こえてくるお経が、妙法蓮華経の観世音菩薩普門品
 
どうして観音経なのだろう
 
この中に観音菩薩の名号を称えるということが出てくる。
「南無観世音菩薩」と称えると様々な困難を解脱(まぬが)るることができると。
その方便の力・・・様々な身をもって救う力のことが述べてある。
 
気がついたことがある。
漢訳には無いが、サンスクリット語訳には指導者アミターバのことが出てくる。
観世音菩薩は修行者なのだ。
漢訳「妙法蓮華経」はクマーラジュが訳した。
彼は阿弥陀経も訳している。
なのに、なぜこの阿弥陀仏のことを訳さなかったのだろうか。
不思議だ。
 
葬儀から帰って、プチ法話会。
今日は14名の方が参加してくださった。
 
生きているときのことが全てはなく、死者とともに生きること
生を自己実現ととらえるのでなく、死者の声に耳を傾けること
人から人へと伝えられるもの、魂のリレー
そんなことを話した。