白山文化ゼミナール

「美濃番場 白山中宮長瀧寺の姿」 高橋教雄先生の講座に参加。
とても面白かった。
いくつかの発見があったが、
特に、長瀧寺の本尊、大日如来と脇侍釈迦如来阿弥陀如来についての話が心に残った。

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長瀧寺は天台宗の末寺であるが、だとすると、なぜ本尊は大日如来か?

という課題を見事に解き明かされていった。
伽藍の配置の特徴として、常行三昧堂と三重塔と法華堂(中央上)、そして一切経蔵があること。
 
この配置から、長瀧寺の独特の仏教思想が浮かび上がる。
まず、常行三昧堂と法華三昧堂は完全な天台思想である。
そして、搭も舎利を治める大事な堂である。(天正地震で崩壊)
思想史的には、舎利搭(釈尊の代わり)→三重搭→経蔵(釈尊の声・経典)→マニ車
と重視されるものが変わってくる。
日本で釈尊の声として経典を特に大事にしたのが日蓮さん。
 
白山は3つの峰を持ち、それぞれに本地仏があてられている。
阿弥陀如来(大汝ヶ峰)、十一面観音(御前ヶ峰)、聖観音別山
ところが、長瀧寺は大日如来阿弥陀如来、釈迦如来
かっては4m程の大仏であった。
この違いはどこから来たのか?
 
それは、もともと天台の中にある、阿弥陀信仰と法華経の釈迦信仰を癒合したものである。
常行三昧堂は浄土信仰、法華堂は釈迦信仰であり、中世以後浄土宗と日蓮宗に分かれるが、
それを山嶽信仰としての真言大日如来によって結びつけるという長瀧寺独自の思想である。
 
そして、この大日如来は大日岳への禅定道として具体化される。
そもそも長瀧寺からは白山は見えず、目の前に大日岳がそびえる
 
この神仏習合=仏仏習合の発想は素晴らしい。
 
終わってから、かねて聞こうと思っていた、宮川孟弼と神谷直縄について質問。
二人とも八幡町の人。
宮川はやはり紙屋五平治、神谷は郡上藩の藩士あった。
宮川の墓は大乗寺に、神谷の墓は川合にある。
 
課題=問題は、忘れなければいつか解けていくものだと感じた。