天台の「三昧」

三昧とはサマーディである。
止観とはシャマタとビバシャナである。
ウキペデイアで調べてみる。
 
『隋の天台智顗は、
仏教にとっては三昧によって精神作用を静止すること自体には意味がないとし、
止観は精神の止息状態だけでなく、「観」となって働かなければならない、
すなわち八正道の正見がなくてはならない、と説明している。
 摩訶止観による四種三昧(ししゅざんまい)は、次の四つに分けられている。
  • 常坐三昧(一行三昧) - 90日間座り続ける。
  • 常行三昧(仏立三昧) - 90日間阿弥陀仏の周りを回りながら念仏を行う。
  • 半行半坐三昧 - 本尊の周りを歩く行と、座る行を行う。
    • 方等三昧 - 『大方等陀羅尼経』に基づいて7日間行われる。
    • 法華三昧 - 『法華経』に基づき37日間または21日間行われる。
  • 非行非坐三昧(随自意三昧)   』
講座の中で、天台の法義について教えていただいた。
常行三昧は知っていたが(親鸞さんは常行堂の堂僧)、法華三昧というのがあるということを知った。
これは、21日間にわたって仏像の周囲を歩く行と座禅を中心に修行し,精神を集中させ仏の智慧を得ようとする、または法華経を読誦する行。
それを行う場所が、常行三昧堂と法華堂(東大寺の三月堂が有名)
 
これを導入したのが円珍さん(天台宗寺門宗)で、止観・遮那・修験の三つを鼎立した教義を持っている。
したがって、修行も三つある。
止観は学習であり、主に経典による講座など。
遮那とは密教の修行であり、身口意を使って体得する。
修験は自然と一体になる(大日如来と一体になる)ことで、身体で学ぶ。
密教は体得するしかないから、自然智を得やすい修験道と結びつく。
自然は大日如来の顕現である。
 
長瀧寺では、講堂で止観行、各堂で遮那行、修験道修験行と分けられていた。
そして修験道は一般の人も参加できた。
 
山越え阿弥陀図も熊野観心十界図も修験道と密接に結びついている。
つくづく得難いご縁であった。
 
 
法華経の物語
仏の子と常不軽菩薩  ( 子の母をおもうがごとく)