わかるということは
具体的に現象として(方便として表れているのだから)つかむこと
仏の大悲について知るということ
理屈も経験もエピソードもすべて含めながら知るということ
そして、知ることと語ること・書くことの関係
語ること・書くことは、わからないこと・知らないことを浮かび上がらせるということ
そんなことやらで、手間がかかるからと、やらないでおいた、「フーリエの冒険」をサイトに書いてみた。
書きながら気が付いたことは、わかっていなかったということだった。
書くという行為も具体的な現象なのだ。
235、フーリエ展開の学び方
学び方と書いたが、それは私のわかり方だった。
でも、それを書いたのはなぜか
「常行大悲の益」
大悲など持ちえない私が、仏の大悲の願行を常に行えるようになる。
これは念仏の利益(りやく)
これくらいしかできない私の行であると同時に大きな利益であると感じる