銀杏の枝と知るという行為

銀杏の木を剪定してもらった。

とてもすっきりしたが、その枝を雪が積もる前に薪にしなければならない。
一日では終わらなかった。

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昨日から考えていること
知るということ

知る→理解する→認識する→悟る

今までそういう段階を想定していた。
しかし、その知るという行為は何に対して行われているのだろうか。
そして、誰が知るのだろうか。
誰が知ったとわかるのだろうか。

今、「わかる」と書いたら、その「わかる」ということを追求して来たのが私の教育の仕事だった
ということに思い当たった。

この切られた枝は、やはり銀杏なのだ。
切られた残りだけが銀杏でないと同じように、枝だけ見ても銀杏はわからない。