はまぐりの数学の更新記録

ようやく「はまぐりの数学」に「三角形極線の極線の証明」をまとめることができた。

306、三角形の極線の極線

内容は、「三角形極線上の点を極とする三角形極線は、三角形の極のつくる内接円錐曲線に接する」定理の発見と証明のみちすじ。

昨日は一日外仕事、今日は雨なので中で書き物が思いっきりできた。
まとめるだけで一か月以上かかってしまった。(初めて,.で書いてみた)

私は面白かったのでやっただけで、数学的才能があるわけではない。
実際にこの証明に4年もかかってしまった。
だから誰でも数学の発見や証明ができるということが示したかった。
もっとも、調べていないから、誰かがすでに発見し証明しているかもしれない。
それでもかまわない。
なんせこんなに豊かな体験をさせてもらったのだから。

それから、この性質は単なる三角形が起こす現象で、極めて単純であり、なじみの三角形にもまだ発見されていないことがたくさんあることも示している。

 下のナビゲーションをクリックすると作図の順番がわかる。
一見複雑に見えるけど、Dをつまんで三角形の外に移動させると、Jの極線も同じ作図だということがわかる。
 このONが接線になることを証明したのが上のサイトのページ。

知らないことの罪

昨日はプチ法話会と頼母子があった。

法話会は水曜日だったけど金曜日に変えていただいた。
水曜日に来られた方もいた。
申し訳ないと思う。

感話の中で、「知らずに犯した罪と知っていて犯した罪とどちらが重いか
という話が出た。
世間ではよく知らなかったんだからと許されることもあるけど、知らないことが犯した罪に加わりより重くなると言われた。
交通違反の事例で言われたから実際の法令でも採用されているのだろう。
知っていて犯した場合は、ちゃんと自覚があるだけ罪を感じているという。

なるほどその通りだなと感じる。
私たちの愚かさを知ることが仏法の第一歩であるという話から思いついたという。
そもそもほとんどの宗教が「自身の愚かさを知ること」を前提にしている。

ましてや予想できないとか予想できなかったというのは、さらに罪を重ねている。
予想できないようなことは、その結果が重大であるとしたら行うべきではない。
罪に罪を重ねることになるからだ。

私は愚かである」ということの自覚が最も難しいことなのかもしれない。

家の周りの片づけ

花壇がたくさんあって、雑草が増えてきたので取ることと、小枝などを捨てるのと、花や植木の植え替えをした。
さらに、鉢やいろいろな道具がたくさんある。
特にプラスチックでできているものは劣化してきていて捨てなければいけない。

親父やおふくろがあちこちから集めたものがいっぱいある。
もったいないと拾ってきたものやもらったものもある。
つれあいが、「あんたも同じだよ、捨てないと」と言う。
これを聞くと腹が立つ。

いつか捨てなくてはならないけど、捨てるに捨てられないものがある。
でも、勿体ないからととっておくのは、もっと勿体ない。
寺は捨てられるものではない。
その違いは何だろうかと考えてしまう。


これらを片付けることを、息子夫妻がやってくれた。
土まで買ってきてくれて植え替えてくれた。

プラスチックは劣化してマイクロプラスチックになる。
できるだけ買わないようにしようと思っている。

花壇は一つ減らすことにした。

孫と一緒に遊ぶのと片づけで疲れてウトウトとしてしまった。

二つの判決

3月18日に原発の再稼働に関する判決が出た。

 愛媛県四国電力伊方原発3号機の運転を差し止めた仮処分決定を不服とした四国電の申し立てによる異議審で、広島高裁は18日、異議を認め、運転を容認する決定をした。

 

 

 

 茨城県東海村日本原子力発電東海第2原発は安全性が確保がされていないとして、9都県の住民が同社に運転差し止めを求めた訴訟で、水戸地裁は18日、運転を認めない判決を言い渡した。

 

 

極線の極線の証明 その3

十日ほど毎日図形を眺めていた。

これをやっていると他のことが手につかない。
他のことを集中して考えられないのだ。

答がいつか向こうからやってくるだろうと思っていても、
それが何時なのかわからない。
そもそも、もう4年間も考え続けている。
もしかしたら一期の間やってこないのかもしれない。

ところが、今日義兄と碁をやった後考えていたら、向こうの方からやってきてくれた。

これで3回目の証明なのだけど、前の証明は複雑すぎて気に入らなかった。
そこで、より簡単で本質的な証明があるはずだと思って四苦八苦していた。

今までは図の中にいろいろ書きこんでいたけど本質はきっと単純なはずだと思って、
元の図形に戻って考えていたら、浮かんできたのだ。

この証明が簡単でしかも本質的だと思っている。
これでようやくこの問題から離れることができる。

 

 これは補題
もう一つ補題があって、この二つを元に最初の図を使って簡単に証明できる。

極線の極線の証明 その3 - Worksheet (geogebra.org)

ポイントは四角形で考えることと、三角形の中だけでなく大きく考えることだった。
そして、四角形の対角線がこの問題の本質。
対角線と極線が深く関係していた。

いつものようにこんな簡単なことになぜ気がつかなかったんだろうと思う。
全て自分の経験の中に真理があったのだ。
それをようやく本当に思い出したのだ。

池田晶子さんは「自分が真理だと分かれば苦しむことができる」と語っている。

全然わけがわからなくわからなくなりましたって言うなら、
君、大成功だよ。
わからなくなったからこそ、これから考えられるんだ。
悩まないで、考えてゆけるんだ。
 ・・・
なぜなら「考える」とは、まさにその自分の人生、その謎を考えることに他ならないからだ。

考えるということは、答えを求めるということじゃないんだ。
考えるということは、答えがないということを知って、人が問いそのものと化すということなんだ。

どうしてそうなると君は思う。
謎が存在するからだ。
謎が謎として存在するから、人は考える、考え続けることになるんだ。

          池田晶子「14歳からの哲学」より

除雪機のかたづけ

今年の除雪機はよく働いた。

ガソリンでいうと20リットル。
ガソリンを抜いてバッテリーのコードを外した。

ついでに車庫のかたづけをしていたら、シャッターが壊れていることに気が付き、修理することにした。
ボルトがなかったので、隣町まで買いに行って、何とか修理することができた。
このままだと強い風が吹いたとき外れる心配があった。

朝起きて日書こうとしたら、文字が変な方向に行ってうまく書けない。
こんなことは初めてでちょっとビビった。

三角形極線はなかなか終わらない

雨だったので、一日中数学を考えていた。

一応証明ができたので、まとめようと思っていたら、これが難しい。
簡単ではないのだ。
そして意味がどんどん広がってくる。
この線や点はどういう意味があるんだと。