感情化する社会

内山節さんが中日新聞にインターネットの問題を書いていた。

①自分の感情にもとづいて発信し、自分の感情に合うものだけを検索する
②自分の感情だけを判断基準に行動する人々
③理性が上に立つと、理屈で押さえつけられる気がし、エリートに支配されていると感じる

感情と理性の対立から生まれた現象は、また様々な問題を生み出している。

実はこの3つは私のやっていることである。

若い人から、「エモい」という言葉を聞いた。
これは感情に動かされた状態を言うらしい。
つまり「いとあわれ」
また、ストレートに感情を表現できないモヤモヤとした時にも使われるという。

この感情はどこからやってくるのかというと、It rainsである。
つまり、器(与格的主体=わたし)にどこからかこの感情がやってくる。
とすると、他力が若い人には当たり前の感覚なのかもしれない。

私は昔から授業は理性的ではなく感情が大事だと思っていた。
ある体験は感情をベースとすることで豊になる
感情は人を動かす(理性では人は動かない)
しかし、感情は時に暴走する
これを知っていることは大事だ

感情と感覚は異なる。
感情は育てることはできない。
でも感覚は磨くことができる。

内山節さんが言っていた
「理性による支配ではない共同の仕組み=普通の人々が主人公の社会」
のヒントがここにあるように思う。